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                56. 連 体 節                 
                                                                     
     56.1 概観            56.6 「という」    
        56.2  内の関係           56.7 連体の重なり
        56.3  外の関係           56.8 連体修飾の機能
          56.4 連体節の中の要素      56.9 名詞述語となる連体節
    56.5 連体節のテンス・アスペクト 

            
       
56.1 概観
  連体節とは、連体修飾節、つまり「名詞(体言)を修飾する」節です。

                                                                
         この  本              │  ここにある  本             
         事故の  ニュース   │  飛行機が遅れる  という  ニュース    
                                                                

  左の二つは「連体詞」と「Nの」による例で、右の二つが連体節の例です。
 「この」と「ここにある」の機能は同じで、「本」一般あるいは他の本では
なく、今、目の前にある「本」を指定しています。
 それに対して、「事故の」は「ニュース」の内容を表しています。「どのニ
ュース」というより「何のニュース」あるいは「どんなニュース」です。同じ
ように、「飛行機が遅れる」も「ニュース」の内容です。
 連体修飾の機能は、「名詞を限定する」「名詞の内容を示す」以外にもあり
ますが、それは後でまた考えます。 
 なお、ここで使われている「という」は連体節と名詞を結ぶ役割をするもの
で、それ自体の意味はありません。「と」+「言う」という意味ではありませ
ん。けれども、微妙に「引用」と関係があります。

  さて、連体節は大きく二つに分けられます。呼び方は寺村秀夫の簡潔な呼び
方を借りて「内の関係」「外の関係」とします。

  「内の関係」というのは、

          ここにある本はぜんぶ数学の本です。

の「ここにある本」のような場合を言います。「ここにある」が「本」を連体
修飾しているわけですが、その連体節の動詞「ある」と修飾される名詞「本」
との関係が、

          ここに(本が)ある

のように、述語と補語として関係づけられるような場合です。

     あそこで本を読んでいる人は、・・・

を日本語の先生が「やさしく」言い換えようとすると、

     あそこで人が本を読んでいますね。あの人は、・・・

のように言うことがあります。「本を読んでいる人」には「人が本を読んでい
る」という関係が含まれているのです。

  連体節の中に、修飾される名詞と同じ名詞が何らかの「補語」の形で存在で
きて、それが「消されている」または「移動した」とも考えられるような形、
それを「内の関係」と呼びます。
 連体節の「内側」にその名詞が入りうるような関係、ですから「内」の関係
と呼ぶのはわかりやすい呼び方でしょう。
 どんな補語が、連体節の被修飾名詞となりうるかは、あとでくわしく考えま
す。

  内の関係の連体節の中の述語のとりうる形には制限があり、例えば、

        ×ここにあります本
        ×ここにあるだろう本

という形はふつう使われません。このことも後でまた考えます。

  もう一つの「外の関係」というのは、

          飛行機が遅れるというニュースを聞いて、がっかりした。   

の「飛行機が遅れる」と「(という)ニュース」のような関係で、名詞を修飾
している節の中にその名詞が入りうることはなく、この例では、その節の表わ
していることがその名詞の内容になっています。
 「ニュース」とは「飛行機が遅れる」ことそのものです。

 なお、「さっき聞いたニュース」なら、「内の関係」になります。
 ずっと前に「45. 複文について」で例に出した「昨日聞いた話」は内の関係
で、「亀を助けた話」と「つりに行こうという話」は外の関係です。

  内の関係になる名詞は、補語となりうるような名詞、つまりほとんどすべて
の名詞ですが、外の関係になる名詞は限られています。
 上の「ニュース」のようにその「内容」を節としてとるもの以外にもいろい
ろ種類がありますが、それは後でくわしく見ることにします。

 「外の関係」になりうる名詞は、みな「内の関係」にもなります。学習者は、
どちらにもなりうる名詞の場合、意味を間違えないよう注意が必要です。

 初級でまず出てくるのは「内の関係」ですので、そちらから見ていくことに
しましょう。

56.2 「内の関係」
  「内の関係」は、英文法の「関係節」に似ていますから、あれを思い浮べる
と、イメージがつかみやすいでしょう。もちろん同じではありませんが。

  よく言われるのは、日本語には英語のような「関係代名詞」がないので、わ
かりにくくなりやすいということですが、そうではないと思います。逆に、英
語のような関係代名詞がなく、ただ名詞の前につけるだけですからとてもかん
たんです。
 このようなやり方は他の言語にも見られるものです。関係代名詞がなくとも、
日本語はそれ以外のやり方でわかっているのです。英語などを日本語に翻訳す
るとき(そのまま直訳できたほうがかんたんだから)関係代名詞が欲しくなる、
というのならまだわかりますが。

  基本的な例文を見てください。

      1  あそこにあるかさはあなたのですか。
      2  昨日見た映画の話を友達にしました。 
      3  来週行くお寺を事典で調べています。     
      4  私が住んでいる町にいつか来てください。
   5 肉を切った包丁で野菜を切ると、においがつく。

  このような表現は日本語の中で非常にありふれたものです。日本人にはどれ
も同じように見えますが、よく見るとそれぞれ少し違うことがわかります。

  上の例文を一つずつ見ていきましょう。例1の場合に「あのかさはあなたの
ですか」なら単文ですが、「あの」の代りに「あそこにある」で修飾されてい
るので、複文になります。そして、ちょうど

          あそこにかさがあります。(その)かさはあなたのですか。

を一つにまとめたような内容を表しています。言い換えれば、「ある」と「か
さ」の関係は「かさがある」、つまりすでに述べたように動詞と「Nが」とい
う補語との関係になっています。

  例2ではどうでしょうか。「昨日見た映画」ですから、「映画を見た」つま
り「Nを」です。例3では「お寺へ/に(行く)」、例4は「町に(住む)」、
例5では「包丁で(切る)」という関係になっています。

  このように、内の関係では、修飾される名詞と節の中の動詞との関係にどの
ような種類があるか、言い方を変えると、動詞の補語のうちどんなものが連体
節によって修飾されうるかが問題になります。

  一方、その名詞が主節の中でどのような補語になるかは、制限されていませ
ん。上の例でも、「かさは」「映画の」「お寺を」「町に」「包丁で」となっ
ていて、主節の述語との関係はさまざまです。連体節の動詞とどんな関係にあ
るかということには影響されていません。

56.2.1  節内の述語と被修飾名詞の関係   
  さて、上で述べた問題、修飾される名詞と節の中の述語との関係の種類を考
えてみましょう。格助詞別に見て行きます。

[Nが]
  まず、主体の「Nが」は上で見たように問題ありません。

          あそこにあるかさ              昨日来た人

  対象の「Nが」も問題なくできます。

          私が好きな食べ物(私はその食べ物が好きだ)
          彼ができる外国語(彼はその外国語ができる)

 ただし、次のような問題が起こります。主体も対象も人だと、

         彼女が好きな彼

のような例ができます。この例では、どちらがどちらを好きなのかはわかりま
せん。(このような説明をしようとすると、「Nを好きだ」という形を使うこ
とになります)

          吉永小百合が好きな私の兄          (主体:兄、対象:吉永)
          私が好きな女優は、吉永小百合です。(主体:私、対象:女優)

なら、まあ、ふつうははっきりしています。逆だったら週刊誌記者が飛んで来
ます。

  「は・が文」で、主体の部分・所有物などを表す「Nが」の場合、「Nは」
のほうは修飾できますが、「Nが」の方を修飾する時、「Nは」を「Nが」に
して節の中に入れることはできません。

          私は胸がどきどきしていた。
          胸がどきどきしていた私
        ×私がどきどきしていた胸        

  この「私は」は、「私の胸」という関係に戻せばいいのです。

          どきどきしていた私の胸(も、やっとおさまってきた)

 もちろん、「Nが」が慣用句の一部となっている場合は取り出せません。

     私は腹が立ちました。
    ×立った私の腹

 慣用句が例外になるのは、他の補語でも同じです。

[Nを]    
  次は「Nを」ですが、問題ありません。まず、「対象」の「Nを」。

          私が買った辞書         昨日見た夢
     彼女がしたこと(彼女が[ある]ことをした)

  「通過点」「出発点」の「Nを」。

          昔歩いた道              毎日通る廊下
          彼女が出た大学          船が離れた桟橋

  使役文の「Nを」も同じです。

          母親が買い物に行かせた子供(子供を買い物に行かせた)

 言いにくいものは、例えば次のようなものです。

     キリン後ろを向いた
    ?キリンが向いた後ろ(には象がいた)
     勇気を出して私は中をのぞいてみた。
    ?私がのぞいてみた中(には何もなかった)

  これらは「Nを」の問題ではなく、「後ろ・中」の「名詞性」の問題でしょ
う。「中」の例で、「箱の中」にすれば何も問題はありません。   

     私がのぞいてみた箱の中(には何もなかった)

[Nに]
 「Nに」の用法はいろいろありますが、下のものは連体節になります。

    相手  彼がプロポーズした相手        私が日本語を教えた学生

  場所 彼女がいる部屋        お金が置いてあるところ
         夏に泊まった旅館              私が座っている席
          列車が着いた駅                子供の手が届く棚

    時    手紙を受け取った日            皆が集まる時間

  使役 先生が掃除をさせた子ども(子どもに掃除をさせた)

  ちょっとなりにくいのは次のようなものです。

          日本語教師になる  →  ?彼女がなった日本語教師というのは・・・
          私たちが雨にぬれる  →  ?私たちがぬれた雨は強い酸性雨だった
     子が父親に似ている → ×子が似ている父親は多い
          彼の意見に失望する  →  ×私が失望した彼の意見は・・・

 これらの文、特に後の2つは不自然と感じる人が多いと思います。
 自然な語順が「NをNにV」となるような「Nに」もなりにくくなります。
「NにV」が一つのまとまりとなっているからです。

     彼は子どもを医者にした → ×彼が子どもをした医者 

[Nへ]
          母が買い物に行ったデパート

 ただし、これは「デパートに行った」であるとも考えられます。

[Nで]
 「Nで」もいろいろありますが、場所・道具は連体にできます。

     子供の時に遊んだ公園     たばこを吸うところ
          魚を切った包丁                贈り物を包んだ紙

  次のものは連体になりにくいものです。

        ?電車が遅れた事故(事故で電車が遅れた)
        ?手紙を書いた英語(英語で手紙を書いた)
    ?私が学校へ通った電車(電車で学校へ通った)

 人により、文脈により、かなり判断が違ってくると思いますが。

[Nから]
  「Nから」は出発点の用法は難しいようです。

          山奥の村から出て来た  →  彼が出て来た山奥の村は・・・

というと「村を出る」と考えられます。「NからNへ」のような単なる移動の
出発点ではなく、

          しずくの垂れるかさを持ったまま入ってきた。

とすると言えそうです。

     煙が出ている煙突(煙突から出る) (?煙が煙突を出る)

これらは「離れるところ」という意味合いがあります。

[Nと]
  「対者」はできますが、「仲間」はできません。

     彼女が結婚した男性      彼女が戦った相手
    ×毎朝学校へ通った友達    ×映画を見た恋人(といっしょに)

 「いっしょに」をつけると言えます。「Nといっしょに」の「と」で、つまりは
「いっしょだ」という述語が「Nと」を必須補語としてとるからだ、とい
うことでしょうか。

     毎朝いっしょに学校へ通った友達
     いっしょに映画を見た恋人

[Nの]
 次の例では「NのN」の初めのNが連体修飾されています。

     子供が迷子になった母親(母親の子供)
     名前が掲示板に出ている学生(学生の名前)
          表紙が汚れている本(本の表紙)
     性格が落ち着いている人(人の性格)
     作品が入賞した学生(学生の作品)

  所有や部分・側面などの持ち主が被修飾名詞になります。

[あいまいな場合]
  さて、それぞれの補語が連体節になれるかどうかを見てきました。
  実際の連体節の中の動詞が名詞とどのような関係になっているかは、そこ
だけを見ていては決められない、あいまいな場合があります。
 例えば、

      a  彼女が好きな彼
      b  お金を借りた銀行が倒産した。
      c  十年前に私が引っ越した家には、大きな池があった。

  例aについては、[Nが]のところですでにふれました。
  例bでは、私が銀行から借りたのか、銀行が別のどこかから借りたのか、の
二つの可能性があります。前の場合は、もちろん「私が」を入れたほうがいい
でしょう。

     私がお金をかりた銀行が倒産した。

  例cでは、「その家から」引っ越したのか、「その家に」引っ越したのか、
です。後の場合は、「池があった」という表現があるので、その家からまた
(今の家に)引っ越したらしいことが暗示されます。

[その他]
 内の関係の中には、補語として連体節の中に入れるのは難しいけれども、後
でとりあげる「外の関係」とも言えないようなものがあります。

     頭の良くなる本

 これは、

     その本を読めば、頭が良くなる

という意味関係があると考えられます。

     学生がのびる先生

も同じような例です。

     その先生が学生を教育すれば、学生がのびる

となります。これらは原因・理由の「Nで」との近さを感じます。

 その他にも、実際の例ではいろいろあり得るようですが、基本的には補語と
なるような名詞句が非常に多いことは間違いのないことです。

[特殊な名詞の場合] 
 連体節を受ける名詞が特別な名詞である場合を考えます。

     貴重品をしまっておくところ

の連体節と名詞「ところ」の関係は、

     貴重品を[ところに]しまっておく

のように考えられますが、「ところに」だけでは意味が分かりません。例えば

     貴重品を[(ある)ところに]しまっておく

のように補って考えなければなりません。「こと」の場合も同じです。

     そこで見たことをぜんぶ話して下さい。
          そこで[ことを]見た

「ことを」を「(その)ことを」と考えればわかります。

 「ところ」や「こと」は名詞の種類、場所名詞か事柄名詞かなどを表すだけ
で、実質的な指示物が定まりませんから、「ある」や「その」のような言葉で
限定されることが必要になります。

  「の」の場合は名詞の種類さえ表しません。

     スリッパは、その中にあるのを使って下さい。
     私が書いたのは、あまり評判になりませんでした。
     昨日買ってきたのはどこに置いてある?

 「の」は何かの名詞のかわりに使われています。最初の例では、

     その中にあるスリッパ 
     その中に[スリッパが]ある

の「スリッパ」が「の」に置き換えられていると言えます。他の例でも、文脈
から「の」が何を指しているかわかるようになっていなければなりません。

  次の例は、連体節とは見なしません。「強調構文」(→57.5)と考えます。

     いちばんわかりやすかったのは、この本です。
         (この本がいちばんわかりやすかったです。)
          君が読まされたのは、たぶんこの本の一部だろう。

[補語が残っている場合]
 「の」が使われる場合には、補語が残っている場合もあります。

     お菓子がしまってあったのを見つけて食べた。(の=お菓子)
          吹雪には、紙を細かく切ったのを使います。(の=紙)

 これらは、

     しまってあったお菓子を・・・
     細かく切った紙を・・・

としても同じ意味を表します。どういう場合にこのような構文が成り立つのか
はよくわかりません。

 あとで見る「名詞節」の中に、この「の」に近いものがあり、区別が問題に
なります。

56.2.2 非限定用法
 連体節はもちろん連体修飾という機能を持っています。連体修飾の働きは、
「限定」と「性質・内容の説明」であるということを「10. 修飾」のところで
述べました。
 例えば、 

     ここにある本は、中国で買ってきた本です。

の「ここにある(本)」は、他のは違う、という意味合いがあり、限定の働き
が強く出ています。「どの本」という指示を求める問いに対する答えになりま
す。
 「中国で買ってきた(本)」のほうは、他の本と区別するより、その本の特
徴を述べることに重点があります。「どのような本」に対する答えです。

     ここにある本は、中国で買ってきました。

と言うこともできます。

 さて、もし修飾される名詞が一つしかないものであれば、ある名詞を限定す
るという働きは必要ありませんから、必然的にその名詞の性質・特徴などを説
明する働きのみになります。 

     彼女が生活費にも困っていた僕を援助してくれた。
     その件は、事情に詳しい/詳しく知っている 田中君に任せました。
     その時彼は、いつも彼を批判している私をかばってくれた。
     私は先月中国に返還された(ばかりの)香港に行ってみた。
          彼女は新宿から20分で行ける調布に住んでいます。
     以前から2台目の車がほしかった奥さんは大喜び。    
     子育てを終わった佐藤信子さんは、地域活動に精を出している。

 この文型は、連用節に近い意味合いを持つことがよくあります。 

          僕が生活費にも困っていたので、彼女が援助してくれた。
          いつも彼を批判しているのに、彼はその時私をかばってくれた。
     奥さんは以前から2台目の車がほしかったので、大喜び。
     佐藤信子さんは子育てを終わり、地域活動に精を出している。

  この、連体節と連用節の意味関係については「59.複文のまとめ」で少し述
べることにします。

56.3 「外」の関係の連体節
  では、次に「外」の関係を見てみましょう。外の関係というのは、修飾され
る名詞が連体節の動詞と補語の関係を持たず、連体節がその名詞の「内容」や
「基準」などを表しているものです。

     計画をすぐ実行しようという意見を述べた。(内容)
     外国人に日本語を教えるという仕事をしています。
     給料は営業成績によって決めるという条件で就職した。
     ドアが開く音がした。    
     子供達がたくさん並んでいる後ろに親が立っている。(基準)
          努力した結果、見事に合格した。

 日本語にはこの「外の関係」の連体節の種類がいろいろあり、学習者にとっ
ては習得しにくいものになっています。読んで理解するのはともかく、自分で
この文型を使おうとすると、どんな名詞がこの形になるのか、それぞれの場合
の制限は何か、などをよく知っていなければなりません。

 この文型をとれる名詞はある種のものに限られていますが、意外にたくさん
あります。それらは、連体節と名詞との関係のしかたによって、いくつかに分
けられます。一つ一つ順に見ていきましょう。

 外の関係の連体節をとる名詞をまず大きく3つに分けてみます。

   [1] ニュース、手紙、うそ、意見、考え、誘い、決心
   [2] 事実、事件、可能性、記憶、歴史、夢、恐れ
      仕事、作業、方法、目的、技術、運命、資格、準備、癖
   [3] 上、横、後ろ、音、感じ、痛み、におい、光
      傷、おつり、結果、悲しみ、怒り

 それぞれ、ある特徴を持った名詞です。以下の説明を読む前に、少し考えて
みるのもいいでしょう。これらはどんな「外の関係」の連体節をとるのでしょ
うか。

56.3.1 言語・思考関係の名詞
  修飾される名詞が、言語・思考関係の名詞で、連体節がその「内容」を表す
ものです。

          大地震が起きそうだという うわさ/うそ/手紙
          みんなで行こうという 意見/考え/誘い/決心

  これは、意味の関係がいちばんわかりやすいものです。連体節と修飾される
名詞との間に「という」が入るのがふつうです。この「という」は「58.引用」
で扱う引用の「と」につながるものです。

     「何も見なかった」とうそを言った。
     何も見なかったといううそを言った。

 これらの名詞の大きな特徴は、この「という」の前に様々なムードの複合述
語が現れうることです。もちろん、自由に現れうるわけではなく、それを受け
る名詞によって、連体節のムードの種類が決まっています。
 多くの名詞は引用の動詞と形態的または意味的な関係があります。

     「来年行ってください」と依頼した。
     来年行ってくれという依頼/お願い/手紙/話 だった。(依頼)
     「みんなで行きましょう」と誘った。
     みんなで行こうという意見/提案/誘い を書いた。  (勧誘)

 このように連体節の中に強いムード表現が来るというのは非常に特徴的なこ
とです。これは「という」の「と」が、引用に似た働きをしているからです。

 「V-てください」「V-ましょう」という依頼・勧誘の表現は、当然のこ
とながら、言語表現と関係のある名詞で受けなければなりません。

     「絶対に行こう」と決心した。
     絶対に行こうという決心/気持ち/考え は動かない。 (意志)

 意志の場合は、思考の名詞です。もちろん、言語表現の名詞でも受けられま
す。

     絶対に行こうという考え/意見/提案/話/文章だった。(意志)

 以下は引用の例を省略して、連体節だけにします。

     明朝出発せよという命令/指令/知らせ を受けた。  (命令)
     やめた方がいいという忠告/ことば/手紙 を無視した。(忠告)
     やってはいけないという制止/圧力 をはねかえした。 (禁止)
     責任をとるべきだという批判/判断/反省 があった。 (当為)
     できるわけがないという断定/思いこみ/批判 は誤りだ。(断定)

 以上の例では、連体節の述語と名詞とは特に関係がありませんでしたが、次
の例では連体節の述語の主体がすなわちその名詞の心理の主体でもあります。

     彼は留学したいという望み/希望/夢 を持った。   (希望)

 「彼」が「したい」のであり、また「彼」の「望み・希望・夢」なのです。
さらには、主文の述語「持った」の主体も「彼」です。
 このような関係は、次の「事柄名詞」の中にもあり、そこでまたとりあげま
す。

     結局だめだろうという予想/判断/思い が前からあった。(推量)
          これはうまく行くだろうという感じがした/印象を持った。(推量)

 上の2例も「彼は/彼には」のような主体を加えると、「予想があった・感
じがした・印象を持った」のはすべてその「彼」です。

 以上のような、連体節に特別なムードを持たない例も、もちろん数多くあり
ます。

     首相に責任があるという街の声
     能力を生かせる仕事が来ないという不満
     駅前の喫茶店で待っているという伝言
     しばらく留守にするというメモ
     焦ってもいいことはないという意味のことわざ
     核戦争が起こって人類が滅亡するという筋のSF小説
     少年犯罪が増えているという調査
     貿易赤字が増えているという統計
     未知の物質が放射能を出しているという発見
     阪神が優勝するという予想/妄想

 このように、意外に多くの名詞がこの「外の関係」の連体節になります。そ
して、言語関係の名詞には「という」が必要なことも忘れてはいけません。

 思考関係の名詞では、「という」がなくても使えることがあります。

     こんな報告書一つでは、事態はおさまらない感じがした。
     数人の議員が、その工事に関して賄賂を受け取った 疑いがある/
          疑いが持たれている/疑いで告発されている。

[~か(どうか)というN]
 連体節に疑問文が入る場合があります。

     これを誰が担当するかという問題が残っている。
     日程はいつにすればいいかという点で意見が食い違った。
     都内に喫茶店はどのくらいあるかという調査を行った。
     急成長の原因は何かという分析が必要だ。  
     現在の世界の人口は何人かという推計/統計
     子供の自殺は本当に増えているのかという疑問/反論
          計画は失敗に終わるのではないかという予感/恐れ/推測/予想
     できるのかどうかという疑い/不安 は消せない。
     いつ終わるのかという質問/問い/手紙 に答えた。  

 「疑問」というムードには二つの意味があります。一つは「疑い」で、答え
を求めていません。一人で考えているだけです。もう一つはもちろん「質問」
です。上の例で、「疑い/不安」などは、答えを求めていません。
 「いつ終わるのかという疑い」とすると、「いつ」を聞いているのではなく、
「本当に終わるのだろうか」という意味合いになります。
 「質問」でない「疑問文」については「42.疑問文」でも述べました。その
違いが外の関係の連体節をとる名詞にも現れています。

[「言い訳」など]
 言語関係の動詞で、「という」が入らない場合があります。

   a 約束の時間に遅れた言い訳/弁明(×~遅れたという言い訳)
   b 事故があったために遅れたという言い訳/弁明

 aは「遅れたことに対する」言い訳です。言い訳の内容ではありません。
 bの方が言い訳の内容です。

 このように「言い訳」のような名詞は二種類の「外の関係」の連体節をとる
ことができます。これは、あとでとりあげる「因果関係の名詞」に似ています。

 以下の例も皆「~に対する」応答という意味合いの名詞です。

     窓ガラスを割ってしまったお詫びを言いに行った。
     手伝ってもらったお礼をちゃんと言った?
          詳しい数字を問い合わせた返事が届いた。
     さっき質問した答えをまだいただいていませんが・・・。
          cf.その問題は現在調査中だという答え 

56.3.2 事柄名詞 
 事柄を表すか、事柄に関係する名詞で、連体節がその内容を表すものです。
「事柄を表す」というのは、「いつ、どこで、誰があるいは何が~する」とい
うことが考えられるような内容だということですが、名詞によって、その「い
つ」や「Nが」が連体節に入らないものがあります。
 連体節の述語が現在形/過去形のどちらの形をとるかということも名詞によ
って違います。また、意味の面では、社会的なこと、個人的なこと、可能性に
関するもの、などがあります。

 言語・思考動詞のような、様々なムードを表す述語は連体節の中に表れませ
ん。「という」がなくても使えます。ただし、「~だ」の述語、つまり名詞述
語とナ形容詞の現在形は「という」が必要です。

 この種の名詞は予想外に数が多く、ふだん気づいていないのですが、日常あ
りふれた型です。

 まず、言語関係の名詞に近いものから。「話」は「と」をとる引用の動詞の
名詞形ですが、「という」がなくても使えます。「話す」の名詞形から「物語」
などに意味が広がっていることによるのかもしれません。

     浦島は、浜辺で亀を助けたと母親に話した。
     浦島が亀を助けたという話
     浦島が亀を助けた話

 最後の例は、むしろその話の「題名」になっているとも言えます。

     人妻が職場の同僚と恋に落ちる(という)不倫小説が売れている。
     小学生の時、犬と家出した(という)エピソードを結婚式で話した。

 「ニュース」「記事」も「という」がなくても言えます。

     大女優が離婚したニュース/記事

 事実・事件など
     入試問題が盗まれた(という)事件/騒ぎ を覚えていますか。
     予算がない(という)事実を隠そうとする。
     彼女が無罪だという事実を人々に知らせようとした。
     (×彼女が無罪だ事実)

 歴史・過程 
     人類が戦争を繰り返してきた歴史を教えなければならない。  
     事件の真相を追求する過程の中で何が明らかになったか。

  状態・事態・風習など
     相手のピッチャーがよすぎて、我々は手も足も出ない状態だった。
     交通事故で年に1万人以上の死者が出る現状をどう考えるか。
     円安がどんどん進むという事態/影響が現れた。
     人々が神にいけにえを捧げる風習がある。
     白血球が減少するという病気/症状
     オゾンが分解されるという現象を発見した。

  法則・制度など
     強さが距離の二乗に逆比例するという法則/原理
     出資者が経営に参加する権利/義務/責任/制度/方針
     Aが増せばBが減るという関係を、逆相関があるという。
     1時間に5キロ進む速度/進みかた/やり方/方法/作戦

 条件・結果など
     相手国が軍隊を即時撤退させるという条件で、和平交渉に望んだ。
     結局、我々が費用を負担せざるを得ない結果になった。
     調査してみると、ほとんどの人が知らないという結果が出た。

 この「結果」の二つの例で、下の方が「という」を必要とするのは、「調査
結果」の意味なので、前に見た「言語」関係の動詞に近くなっているからでし
ょう。(「ほとんどの人が知らない結果」とすると、「結果を知らない」とい
う「内の関係」の意味にとられそうです)後で「因果名詞」としてとりあげる
例と違って、過去形になりません。

 写真・風景・様子など。つまりは感覚でとらえられるものです。「という」
が入りにくいことが多いです。

     子供たちが笑っている写真が飾ってあった。  ×という
     農民が畑仕事をしている風景を絵に描いた。
     風に吹かれながら、一人丘の上に立っている姿が絵になる。
     何か困った(という)様子をしていた。   
     いっしょうけんめい大人のまねをする様子がかわいい。 

 視覚に関するものが多いのですが、それに限るわけではありません。

     録音を聞いていると、皆が楽しんでいる様子がよくわかる。
          電話の声から、いかにも困っているという様子が伝わってきた。

 次の名詞は、話し手、あるいは主文の主体と「NのN」の関係にあります。

     合格は間違いだったという夢を見た。
     小さい頃、住んでいた家が火事になった記憶があります。  
     この土地で家族と過ごした思い出がよみがえってきます。
     その女優は戦後の大阪で孤児として苦労した過去/身の上を語った。

「私の記憶・夢・思い出」「女優の過去」です。「夢」以外は、意味的に述語
の過去形を受けるのがふつうです。

 これから見ていく名詞は、連体節の中に「Nが」が入りにくいものです。ま
た、多くの場合、「いつ、どこで」という具体性がなく、その内容が一般的、
概念的なものです。また、あるもの・人に備わっている性質などもここに入り
ます。多くの名詞が、主節の主体の名詞と「NのN」の関係を持っています。

          本をたくさん買う仕事/癖/習慣(Nの仕事/癖/習慣)

  すでに見たような「言語・思考」と関係のある名詞でもなく、また、具体的
な「事柄」の表現でもないのですが、節で表されるような、ある内容を示して
いる名詞です。

 「という」はあってもなくてもかまいません。
 多くの名詞で主体の「Nが」は現れず、節内の述語は過去形になりません。
 言いかえると、節としての独立性が低く、制限の強いものです。

 まず、「仕事」の類。 

     日本語を教える(という)仕事は、やりがいのある仕事だ。
     いくつかの薬品を一定の比率で混ぜる(という)作業を続けた。

 「仕事・作業」の内容を連体節が表しています。いつ、どこでということが
特にないのがこの種の名詞の特徴です。「という」はあってもなくても成立し
ます。

     戦後の大阪で、闇物資を売りさばく商売を始めた。

 この例では「戦後の大阪で」が時間と場所を指定しているようですが、これ
は「売りさばく」にかかるというよりも、「始めた」にかかるものでしょう。
「闇物資を売りさばく商売」というものは、あちこちであるものです。

 上の「作業」の例も、「いつ・どこで」ということはもちろんあるのですが、
「作業の内容」を表している「薬品を混ぜる」という部分は一般的な内容です。

     昨日から近所の川に橋を架ける工事が始まった。
     日本語の起源を明らかにする研究をしている。

 「仕事」の反対の「遊び」の類も同じような形を作ります。

     子どもたちが足で石を蹴って円の中に入れる遊びをしている。
     家族で相手のカードを推理して当てるゲームをした。

 次は、「癖・習慣・性格・性質・一面」など、あるものが内在的に持ってい
るものを表す名詞。やはり時や場所に関係なく、「という」を入れられます。

     トム・ピリピの癖は、うそをつく癖。(歌詞)
     どんな時にもあわてない(という)性格だ。
     この合成樹脂は熱に弱いという性質がある。
     毎朝歯をみがく習慣をつけよう。
     彼は人の言葉をすぐ信じてしまうという欠点が治らない。
     彼女は、論理的に議論ができ、感情に流されないという長所がある。
     最新型は、省エネに優れ、廃棄処理も簡単だという特徴を持ってい
     るので、絶対に売れますよ。         

 これらの例の「Nは」は連体節の中には収まらないで、主節の述語にかかっ
ています。

 なお、「かんたんだ」のような「-だ」の場合は、「という」が必要です。

 「運命・夢・方針」など。
     私はあなたと出会う運命/定め だったんですね。
          彼女は宇宙飛行士になる(という)夢/希望を持っている。
     彼は社会を改革していく理想に燃えている。
          ここ数年、予算を縮小していくという方針でやっています。
     私はエレベーターには乗らない主義です。

 「目的・ねらい・目標・やり方・手段」なども外の連体節を形作ります。

     日本語の文法を研究するという目的を持って日本に留学した。
     試料を繰り返し熱するという方法で、完全に殺菌した。
     大使館員を人質に取るという手段に訴えて、主張を通そうとした。

 以上のように、外の関係となる「事柄名詞」は意外に多くあります。これら
の名詞をいくつかに下位分類することができそうですが、その区別の基準を事
柄の具体性に求めるか、あるいは「Nが」の有無や過去形の可否、あるいは何
か他の基準によるか、というところがはっきりしません。はっきりした線は引
けない、連続的なものかもしれません。

 最後に、可能性を表す名詞です。「Nがある/ない」の形ではムードの表現
に近くなります。

     核戦争が起こる可能性はまだ否定できません。
     実験が成功しないおそれがあった。 

[「理由・目的・結果」など:因果名詞]
 前にとりあげた「言い訳」などの名詞と同様に、「という」を使えない用法
があります。

     君が会社を首になった理由は何だい?(×首になったという理由)
      重要書類を紛失したという理由で首になった。
          彼女が日本に留学する目的は、経営学を学ぶことです。(×という)
      彼女は、経営学を学ぶという目的を持って日本に来た。
          綿密に調査した結果、以下の事実が明らかになった。(×という)
      地下水がひどく汚染されているという結果が出た。

  それぞれ、「という」が使われている例は、連体節がその名詞の「内容」を
表しています。

 では、「という」が使えない例では何を表しているのでしょうか。
 ある事柄が起こる前には「原因・理由」があり、その事柄が起こったあとに
はその「結果」があります。また、それが人の行動ならその「目的」があるで
しょう。事柄によっては、「条件」が問題になります。このような、ある事柄
をめぐる様々な名詞が、もう一つの外の関係の連体節を形作ります。
 これらを、仮に「因果関係に関する名詞」略して「因果名詞」と呼んでおき
ます。

 「結果」は「で」などの助詞も使われず、連用節に近い用法になるところが
特徴的です。

  「ねらい・条件」の例。
     この講座を開設したねらいは、科学の将来を考えることです。
      科学の将来を考えるというねらいで、この講座を開設しました。
          和平交渉を再開した条件は、軍隊が撤退することだった。
      一月以内に軍隊が撤退するという条件で、和平交渉を再開した。

  「原因」は内容を表す連体節は言いにくいようです。

     事故が起きた原因は現在調査中です。
    ?ブレーキが故障していたという原因で、事故が起きたらしい。
     cf.ブレーキが故障していたのが原因で、事故が起きたらしい。

 その他の類例をいくつか。
          円高が進んだ影響が各方面に現れている。
      石油価格が下がるという影響
          メーカーが宣伝費を倍増した効果がはっきり出てきた。
      子どもたちの間での知名度が上昇しているという効果
     厳しくしつけすぎた反動で、娘は大学では遊んでばかりだ。 

[証拠]
 「証拠」はまたちょっと違った特徴のある名詞です。他に類例があるかどう
かわかりません。

     彼がやった(という)証拠

 「彼がやった」というのは「証拠」の内容ではありません。その証拠によっ
て「やったと言える」わけです。その点で「結果」や「影響」とも違います。

          ケーキを一人で食べてしまった証拠
     口のまわりにクリームが付いているという決定的な証拠

56.3.4 相対的な概念を表す名詞
 場所・時間に関するもの、動作の結果として残るもの、感情名詞、論理的な
関係を表すものなどがあります。どれも「という」は使えません。

[場所・時間]
 場所に関して相対的な関係を示す名詞があります。

        人々が歩いている上を紙飛行機が飛んでいった。

  この「上」は「歩いている」所、ではありません。その「上」です。

          私たちが見ている前を、彼女は悠々と歩いて行った。
     私が立っていたすぐ横の壁に、銃弾が当たった。
     彼が住んでいたとなりに、ちょうど彼女が引っ越してきたんだ。

 「途中」もこの類と考えられます。

     駅まで歩く途中に郵便局がある。

 数量が入れられます。

     わたしたちが座っていた2メートルほど後ろを通ったそうだが、ぜ
     んぜん気がつかなかった。

  時間に関しても同じように言えるわけですが、その中のいくつかのものは、
その重要性を考えて連用節としてすでに取り扱いました。(→「48.時」)

     鐘が鳴る前に/鳴ったとき/鳴った後で 外に出た。

 その他にもさまざまなものがあります。

     独立が宣言される前日、彼は皆を集めてこう言った。
     そのことが発表された翌日、銀行に人がつめかけた。
     大臣になる直前に選挙違反が明らかになった。
     夫婦げんかをしている最中に、両親がたずねてきた。 

「翌週・翌年」などももちろん同じです。「次の日」などの表現もここに入れ
られます。

     彼らが結婚した次の年に子供が産まれた。

「結婚した年」なら、内の関係です。「(その)年に結婚した」となります。

 数量を使った場合。
     結婚して十日後に別れてしまった。
     退職する3年前から、この店の開店準備をしていた。

[結果として生まれるもの]
 まず、行為の結果作り出される、感覚でとらえられるもの。

     ドアを開ける音が聞こえた。
     サンマを焼く煙/におい が流れてくる。
     注射針を刺す痛みは、いくつになってもいやなものだ。
     大きなファイヤーが燃え上がる熱で、顔が熱くなった。
     爆弾が炸裂する光が遠くの山からも見えた。

 何かのあとに残る感情。

     愛犬を失った悲しみを忘れられないらしい。

 「愛犬を失った」は「悲しみ」の内容というより、原因です。

     侮辱された怒りがこみ上げてきた。     
     話し相手がいない/を失った 寂しさは何とも言えない。

 過去形では「その結果としての感情」になりますが、現在形を使うと、その
「寂しさ」の内容そのものを表します。そして、「という」を入れることがで
きます。

     話し相手がいないという寂しさ
    ?話し相手を失ったという寂しさ

 「失ったあとの、一人でいることの寂しさ」と考えるか、「失った」という
こと自体にある種の感慨を持つか、で文の自然さの判定が違ってきます。

          この仕事は自分の能力を超えているのではないか、という不安
     家族と一緒に暮らせる(という)幸せ

この例は「不安」や「幸せ」の内容でしょう。

 行為の結果、残るものを表す名詞の類。

     刀で切られた傷が肩にある。(「傷を切られた」ではない)
     釘を抜いた跡がいくつも残っていた。
         缶ビールを買ったお釣りがポケットに入っていた。
     展示に使った残りの紙類は捨てないでおいてください。
     この部屋に誰かがいた形跡がある。

 行為の中の「エネルギー」があとに影響します。

          坂を転がってきた勢いが止まらず、そのまま壁にぶつかった。
          ジャンプしたはずみで、前につんのめってしまった。

 「論理的な相対関係」の名詞は、すでに「因果名詞」としてとりあげました。
 「言語関係の名詞」のところで扱った「言い訳」などの名詞も、広い意味で
は「相対的な」名詞と言えるでしょう。

56.3.5 二種類の外の関係をとれる名詞  目的-方法-結果
  「目的・結果・方法」などは「56.3.3」でもとりあげた名詞です。つまり、
これらの名詞は2種類の「外の関係」の連体節を受けることができます。
 「内の関係」も受けられますから、全部で3種類の連体節ができます。

     半導体の技術を学ぶ(という)目的      内容
     日本に留学する目的                    相対関係
     面接で聞かれた(留学の)目的            内の関係

 日本語学習者はこれらを読んだり聞いたりした瞬間に、連体節の種類がどれ
であるかを分析し、連体節と名詞の意味関係を理解しなければなりません。
 人間は何と素晴らしい能力を持っているのでしょうか。もう少し例を並べて
おきます。
 内容・相対・内の関係の順に並べます。

      罰
         地獄へ堕ちるという罰      (どんな内容の罰か)
     悪事を働いた罰         (なぜ罰を受けるか)
     カンダタが受けた罰       (どの/誰の 罰か)

      ねらい
          若い研究者を育てる(という)ねらい
     この講座を開いたねらい
     講座紹介のページに書いたねらい

   条件
     軍隊が撤退するという条件で、和平交渉を再開した。
          和平交渉を再開する条件は、軍隊が撤退することだ。
     相手側が提示した条件を検討し、了承した。

      結果
          ずさんな工事が、十数カ所で雨が漏るという結果をもたらした。
     綿密に調査した結果、以下の事実が判明した。
     報告された調査結果は、以下の通り。

56.4 連体節の中の要素
 内の関係の連体節は独立性が低く、その中の要素に対する制限が強いです。
それに対して、外の関係の連体節には、独立した文に近いものがあります。
 節内の要素をいくつか見てみます。テンス・アスペクトは大きな問題なので
別にとりあげます。

56.4.1 連体節の中の複合述語
 内の関係の連体節の中の述語には形の制限があります。「節」というのは文
相当の内容を持っているわけですが、単独の文と比べると、文としての独立性
が相当失われています。名詞を修飾するということからくる制約があるのです。

 まず、節の中の述語は丁寧形にしないのがふつうです。

    ?これを買いました人は田中さんです。
     これを買った人は田中さんです。

 ただし、全体にかなり丁寧な文体で話す場合などには使われます。

     あちらで買って参りましたものをご覧に入れたいと存じます。
     一度お支払いいただきましたお金はお返しできません。

 また、「~だろう」「するそうだ」などの推量のムードも現れません。

    ×あした来るだろう人はだれですか。
    ×あした来るそうだ/な 人はだれですか。
    ?あした来るらしい人はだれですか。

  「~だろう+N」は書きことばで使われることはありますが、学習者には勧
められません。

          そう反論してくるだろうことは容易に予想できたことだが、・・・
          出会ったであろう女性、交わしたであろう言葉の数々、・・・

 「~かもしれない」はもう少し制限が緩くなりますが、自由に使えるとは言
えません。

     必ず来る人は○、来るかもしれない人は△を書いてください。
     私と結婚したかもしれない人が、他の女性に生ませた赤ん坊を抱い
     ているのを見るのはつらかった。

 推量の中では「しそうだ」だけが使えます。それだけ、たんなる「推量」と
いうよりは「現在の様子」(からの推量)を表しているのだと言えるのでしょう。

     あした来そうな人はだれですか。
     おいしそうなお菓子を選ぶ。

「しそうだ」は「V-た」をとれないことを思い出してください。

 意志は「意志形+と思う」の形なら使えます。意志の直接的な表明でなく、
形としては自分の意志の叙述にすぎないからです。

    ×あした行こう人はいますか。
     あした行こうと思う人はいますか。

 命令・依頼などはぜんぜんダメです。

    ×行けお前
    ×行きなさい君
    ×行ってくださいあなた

 終助詞も現れません。

    ×行くね人

 外の関係の言語・思考関係の名詞では、「という」を使うことによってさま
ざまなムードが現れうることを見ました。

          必ず完成させろという命令/完成させてくれという依頼 を受けた。
     やってみようという気持が大事だ。

 その他の名詞では、内の関係に近くなります。

 「という」を使った次のような表現もあります。

     どうにでもしろ、という顔で私を見た。
          手品師は、見破れるものなら見破って見ろ、という手つきでカード
     を交ぜた。
          いかにも、かわいがってね、という形をしたぬいぐるみだ。

 表情・身振りなどがその気持ちを表している、という表現です。

 次のものは「という」が「そう考えるN」という意味合いで使われています。

        ちょっとやってみようという人はいませんか。
     その新技術を採用してみようという企業は一つもなかった。
     俺が行ってやろうというやつはいないのか。

56.4.2 連体節の中の主体と「は」
 内の関係の連体節の中には、主題の「は」は現れません。主体は「Nが」に
なります。

    ×母は卒業した大学で私も学んだ。(母は→母が)
    ×あなたは教えてくれたやり方でやってみました。(は→が)
    ×彼は買ってきたおみやげをもらった。

 最後の例で、「もらった」のが「私」つまり話し手なら、この文は非文法的
です。「彼」が「もらった」のなら、これでいいのですが、誰が買ってきたの
か、あるいは誰にもらったのか、言い表すほうが自然でしょう。学習者の作文
によくある例です。 

     子どもたちは、父親が/に 買って来たおみやげをもらった。

 対比の意味を持たせたい場合に「は」が使われます。

     この学校は、英語は得意だが数学は全然だめな学生が多い。
 
56.4.3 連体節の主体のガ/ノ
 内の関係の連体節の中の主体を示す「が」が「の」で置き換えられる場合が
あります。「ガノ可変」などと呼ばれることがあります。

     雨の降る晩に、昔の恋人に偶然出会った。(雨が降る晩) 
     私の見た映画の中でこれが一番良かった。(私が見た映画)
    ?梅干しの食べられない人はいますか。(梅干しが食べられない)
     外国語のじょうずな人(外国語がじょうずだ)

 主体の「Nの」のすぐあとに述語がくる形が典型的で、わかりやすいです。
名詞が来て「NのN」の形になってしまうと、誤解が起こりやすくなりますか
ら使われません。

    ?私の彼女に会った日(私が彼女に会った日)
    ?私の本を買ったとき(私が本を買ったとき)

 ただし、書きことばでは「Nの」と述語がかなり離れていても使われます。

     彼のすぐ東京を離れ彼女の待つ国へ帰ろうとしたことは当然であっ
     た。(彼が帰る)

 こうしてみるとずいぶんぎこちなく感じますが、少し古い小説にはよく見ら
れる文です。

56.4.4 副詞句
  内の関係の連体節の中にはある種の副詞句が使えません。それは、陳述の副
詞の一部や、発言の副詞などの文修飾の副詞句です。 

     がんばればできたかもしれない問題
    ?確かできたかもしれない問題
        ?決して解けない問題(を考え出した)

  「決して解けない問題ではない」とすると、「決して・・・ではない」という呼
応になります。

    ?もちろん会費の要らない会

 「~です」とか「~に行った」などと続ければ、「もちろん」はその述語に
かかることになります。

56.5 連体節の中のテンス・アスペクト   
 従属節のテンスの問題は、「48.2 ~とき」のところでもいろいろ考えてみ
ました。

 「内の関係」では、基本的な考え方は同じです。連体節と主節、二つの事柄
の時間関係はどうなっているのか。
 主節の述語については単文と同じ解釈でいいのですが、連体節の中の述語の
テンスとアスペクトをどう解釈すればいいのかは難しい問題です。それぞれが
動きの動詞か、状態動詞か、そして現在形か、過去形か、V-テイルの形か、
いろいろな場合を分けて考えてみましょう。

 動きの動詞を「スル/シタ」、状態動詞を「イル/イタ」で代表して表しま
す。
 以下では次のような場合を見ていきます。Aは連体節内の動きの動詞、Bは
主節の動きの動詞を表します。

    ①  AスルN・・・Bスル    ②  AスルN・・・Bシタ
    ③ AシタN・・・Bスル    ④ AシタN・・・Bシタ

    ⑤ スル/シタN・・・イル/イタ

    ⑥ イル/イタN

    ⑦ シテイル/シタN
    ⑧ シテイル/スルN

 それから、関係節内の述語が形容詞・名詞述語である場合を見ます。

 「外の関係」の場合は、それぞれのところで触れたように、連体節を受ける
名詞の種類、個別的な性格によって決まってきます。それはあとで見ることに
して、まず、「内の関係」の場合をくわしく見ます。

56.5.1 内の関係:動詞述語
①[AスルN・・・Bスル]
 どちらも動きの動詞で、現在形の場合。習慣や性質を表す場合(時間に縛ら
れない場合)を別にすれば、Bが先に、Aが後に起こるのがふつうです。
 つまり、AがBに対して「以後(将来)」を表します。これは、単文で動きの
動詞の現在形が将来を表すことと並行しています。ただ、単文では発話時との
関係でしたが、ここでは主節の時に対して「将来」であることが違うだけです。

     これから家族が食べるものを作ります。
     もうすぐ試験を受ける人が集まってきます。
     来週までに留学する大学を決めてください。
     今、駅へ行く人がバスに乗ります。 

  みな、「作る→食べる」「集まる→受ける」の順、つまり[B→A]です。

 しかし、そうでない場合もあります。

     あとで母が作ってくれるご飯を食べます。

 この例では、「作る→食べる」の順ですから、[A→B]です。

          この原稿は(今日)うちへ取りに来る編集者に渡します。

 「来る→渡す」です。これらの例のように、文脈と動詞の意味によって順序
が確定する場合は、上の原則[B→A]より強いようです。

 習慣的な動作、あるいは性質など時間に関わらない事柄を表す場合は、前後
関係がなく、広い意味での「同時」と考えられます。

     よく食べ、よく笑う人が長生きします。
     よく使う辞書はすぐそばに置いておきます。

 [置いておく→使う]ですが、そのあと、[使う→置いておく]でもあるわ
けです。 

②[AスルN・・・Bシタ]
 この場合は比較的かんたんです。文全体が過去のことでも、連体節で「スル」
の形になるということは、Bに対して「将来/以後」であるということです。
つまり[B→A]です。

     留学する友達に電話をかけた。

 「留学する」のは、「電話をかけた」時点では将来のことですが、この文を
発話した時点ではどうなっているのかわかりません。つまり、

     きのう電話をかけた → 来月、友だちが留学する

のかもしれませんし、

     先々月、電話をかけた → 先月、友だちが留学した

という話を「今」しているのかもしれません。過去のことでも「留学する友だ
ち」なのです。学習者の母語でどうなっているかにもよりますが、わかりにく
いところでしょう。

     我々は北京へ行く飛行機に乗った。(旅行記:もう帰国した)
     その時やっと、結婚する相手が見つかった。(自伝)
     子どもが入る小学校を見に行った。

 ただし、性質や特徴、習慣などを表す「スルN」は、Bとは別に、時間を離
れた事柄を表しています。
 単文の場合も、性質や特徴、習慣や繰り返しを表す文では、現在形が現在を
表すことができました。「スルN」の場合も同じことが言えます。
 つまり、ある特定の時点にしばられないので、主節が過去でも連体節で現在
形が使えます。

     よく走る車を買った。(買った時、「よく走った」)
     平和を愛するこの民族は、昔から繰り返し侵略されてきた。

 次の例は「配達される→飲んだ」となる点で、ちょっと特別に見えますが、
「毎日配達される」は繰り返しなので「された」にする必要はありません。

     毎日配達される牛乳を飲んだ。

 人の職業や物の用途を表すような文も、現在形を使います。

     日本語を教える先生には、昔は国語の先生がなりました。
     ワインを開けるコルク抜きを探した。
     屋上へ上がる階段を見つけた。

 これらは、「なる→教える」「探す→開ける」という順序を考えているわけ
ではありません。そのものに備わっている特徴です。

     何か食べるものを探した。

の「食べるもの」も同様に考えていいでしょう。

③[AシタN・・・Bスル]
 「シタ」はすでに起こったことを表しますから、「Aシタ→Bスル」の順に
なりますが、この「シタ」は発話時から見た「過去」とは限らないことに注意
して下さい。
 つまり、「Bスル」が将来のことである場合、その少し前、つまり発話時か
ら見れば「将来」のことも表すからです。

     遊びに来た友だちと映画に行く(つもりだ)。(来た→行く)
     切符を買った人はすぐ中に入って下さい。

 すでに切符を買った人へのことばとも、切符を買う前の注意ともとれます。

     アルバイトで稼いだお金で旅行をします。

 「アルバイトで稼ぐ」のは将来のことでもかまいません。

     この夏休みの前半はアルバイトをするつもりです。そして、そのア
     ルバイトで稼いだお金で休みの後半に旅行をするつもりです。

  ここも、学習者にとってわかりにくいところでしょう。

          9月に、夏休みに読んだ本の話をして下さい。(と、7月に言う)

「9月」になってから、「夏休みに読んだ本の・・・」と言えば、この「読んだ」
は過去のことになります。

④[AシタN・・・Bシタ]
 両方とも過去形の場合。多くの場合、[A→B]の順になります。つまり、
連体節の「シタ」は、主節より「以前(過去)」のことを表します。

     買ってきた本を読んでみた。
     留学した友だちが手紙をくれた。
     人々は、地震で壊れた家を建て直した。

 逆の順と考えられる例。

     ホテルの部屋で自殺した男性は、後から連れが来ると言った。

  「死人に口なし」で(?)、「言った→自殺した」つまり[B→A]の順になり
ます!

     一次隊で出発した人に機材を預けてしまった。

 「預けた→出発した」でしょう。動詞の意味によってそう決まります。

 すでにとりあげた①「A・Bがともに現在形の場合」と、この④「ともに過
去形の場合」を合わせて考えると、次のことが言えそうです。

 つまり、これらの場合も、②③の「連体節と主節の動詞の時が違う場合」と
同様に、基本的には「スルN」は主節より後を、「シタN」は主節より前を表
すことが多いが、それは絶対的なものではなく、文脈と動詞の意味によって、
反対になる場合がある、ということです。くわしいことはよくわかりません。もっ
と研究が必要なところです。

⑤[スル/シタN・・・イル/イタ]
 主節の動詞が状態動詞である場合を考えます。状態動詞は「幅」のある時間
を示します。
 「スルN」は主節と同時(含まれる)か、それより将来を、「シタN」は主
節より以前(過去)を表します。 

     来年、日本へ留学する学生がたくさんいる。 (将来)
     よく勉強する学生はこの問題ができる。   (同時)
     日光浴をする人が芝生に大勢寝ころんでいる。 
     あの中に大金を盗んだ犯人がいる。     (以前)
     教師を厳しく批判した学生が教師になっている。
     風に揺れる木の葉を窓から見ていた。    (同時)

  同時を表す「スルN」は、ある時間の幅を持った動作を表しています。

 次の例は、「何度も来た」という表現が習慣的な繰り返しを表し、次で見る
「イタN」と同様に考えていいでしょう。  

     以前、このことで何度も相談に来た女性がいた。  (同時)

 次の例では、「シタN」が主節と同時を表している点で例外的です。

     高校の卒業式の時、学校を厳しく批判した生徒がいた。
     ビラを受け取ってくれた人も少しはあった。

 この「いる・ある」は、「その時そこに」と言うより、そういう人が存在し
た、言い換えれば「ある人が~した」という意味になっています。たんにその
時の状態を示すのではない点が、他の状態動詞と違うのでしょう。

⑥[イルNとイタN]
 連体節の述語が状態動詞の場合を考えてみましょう。「イルN」は主節と同
時を表します。主節が過去でも同じです。

     大阪にいる母と電話で話します/ました。
          私たちの中に英語が書ける人はいませんでした。
          そこにある道具を使って下さい/使いました。

 では「イタN」はどんなときに使うのでしょうか。

 「イタN」が単純に過去を表す場合。テレビで事故の報道をするとき、

          では、現場にいた人の話を聞いてみます。

と言えば、この「いた」は発話の現在から見た、単なる過去です。

  ここで主節が過去の場合、

     現場にいる/いた 人に話を聞きました。

 これはほぼ同じ意味になります。「いる/いた」時と、「聞いた」時は同じ
時です。

          (事故当時)現場にいた人に(昨日)話を聞いた。

という場合にも、文脈から理解可能なら、

     現場にいた人に話を聞きました。

と言えます。この二つの「~た」は違った時を指しています。この「いた」と、
上の「いる」と同じ意味の「いた」との区別が難しいところです。文脈から明
らかになる違いです。

 初めにあげた例で、

     大阪にいた母と電話で話しました。

とすると、その時は「大阪にいた」けれども、今は「大阪にいない」ように感
じられます。主節が過去の時、連体節が単に過去の状態を表すだけなら、現在
形が主節の述語と同時(つまり過去)を表すことで十分なのです。

  ただし、一時的な状態を表す「イタN」は、「ちょうどその時、たまたま」
という意味合いを含むことがあります。

          例の話、食堂にいた彼に話しておいたよ。(?いる)

 「いる」とすると、食堂で働いているとか、何らかの理由でずっといること
になります。

     ちょうどそこにあったお菓子を食べた。

  次の例のように、状態の変化をはっきり表す場合には過去形が使われます。

     大阪にいた母も、東京に引っ越してきました。
     以前は書けた漢字が最近書けなくなった。

 「イタN」が将来のことを表すことはまれですが、

        後で金庫を開けてみて、そこにあったものを使います。(ある)
     ちょっと用があって出ますが、すぐ戻ってきます。私が戻ってきた
     ときにいなかった人は欠席扱いにします。(いない)

 Bが過去の場合は、Aが現在形でも過去形でも同じ内容を表します。

     その時、そこにある絵を見た。            
     その時、そこにあった絵を見た。

 現在形のほうは、主節の述語と「同時」であることを示し、過去形のほうは、
現在(発話時)から見て「過去」だ、という意識によるものと言えます。

⑦[シテイルN/シタN]
 「V-ている」の継続の場合は、基本的に状態動詞と同じです。

     読んでいる/いた 本から目を離さなかった。
     読んでいた本を閉じて、私を見た。(?読んでいる)

  結果の状態を表す場合。

     閉まっている/いた ドアを無理に開けようとした。

  「閉まったドア」とも言えます。

     ここに落ちていた財布は結局誰のだった?(?落ちている)

  こちらは、「落ちた財布」とは言えません。

 経験の「V-ている」。    

     5回も結婚し、離婚している/した 人に会って話を聞いた。

 「していた」ではなく「した」がぴったりします。経験の「V-ている」は
「V-た」に近い、というのは当然のことです。

  状態を表す「V-ている」も「V-た」で言えますが、こちらは結果の状態
が固定化した用法です。

          曲がっている釘  曲がった釘   曲がっていた釘 
     曲がっている道  曲がった道    曲がっていた道

「V-ていた」にすると、今は「曲がっていない」と感じます。

     おれている釘  折れた釘
     澄んでいる水  澄んだ水

では「V-た」のほうが自然です。

 この「V-た」は、より形容詞に近づいていると言えますが、逆に、「Nが」
があると、本来の動詞性がもどり、状態を表せなくなります。

     眼鏡をかけている/かけた 人 
     その人がかけている眼鏡
     その人がかけた眼鏡

 最後の例は「その人が以前その眼鏡をかけた」という意味になります。     
⑧[シテイル/スル N]
  継続を表す「シテイルN」は、「スルN」の形で言えることがあります。

         店には立ち読みをする人がたくさんいた。(している人)
     電車の中で漫画を熱心に読む会社員を見ていると、情けなくなる。
          店の前を通る人に声をかけた。
     雪の降る晩に女が訪ねてきた。
     お年寄りの話にきまじめに耳を傾ける子供たち。(写真の説明)

 次の例は、「性質」に近いようにも感じられます。

     三日月のそばに強く光る赤い星があった。
     小川を流れる水をすくって飲んだ。

 けれども、これらは独立の文では言えません。

    ?赤い星が強く光る。
     赤い星が強く光っている。

 「光る」の例は、「赤い星」一般の特徴になってしまいます。「今、あそこ
に見える星」の描写である場合は「光っている」になります。同様に「小川を
水が流れる」は一般的な状態の描写としては成り立ちますが、「水をすくって
飲んだ」というある個別的な時の描写としては「小川を水が流れている/いた」
でなければなりません。

 次のような例は「スルN」では落ち着きません。

    ?あそこに、本を読む人がいますね。あの人は・・・ (読んでいる)
    ?ガラス窓を拭く店員が急に私のほうを振り向いた。(拭いていた)

 「結果の状態」の「シテイルN」は「スルN」に換えられません。

    ×前に座る人に聞いてみた。(座っている)
    ×ちょうど止まる電車に乗ることができた。(止まっている)

56.5.2 形容詞述語の場合
 基本的には現在形が使われます。文末の述語が過去でも、変わりません。

     背が高い/親切な 人に手伝ってもらいます。
     背が高い/親切な 人に手伝ってもらいました。

 形容詞は、主節の述語と同じ時の状態を表しているわけです。

 連体修飾をしている形容詞が過去形になるのは、そのあとの状態との比較の
形になっている場合です。

     激しかった雨がようやく小降りになった。(激しかった→小降り)
     さっきは本当に激しい雨だった。(×激しかった雨だった)
          前はおいしかったステーキが、コックさんが変わると、とたんにま
     ずくなった。
         (最近の大根おろしはうまくないので食べない、という話の後)
    ?十年前、辛かった大根おろしをよく食べた。 
          十年前、その頃はまだ辛かった大根おろしをよく食べた。
     昔は景気がよかったこの町も、今ではすっかりさびれてしまった。
      (景気がよかった→さびれてしまった)
     暗かった町が、街灯が増えて明るくなった。
     子どものころ成績がよかった私は、今ではそれだけが自慢だ。

56.5.3 名詞述語の場合
 名詞述語の過去形も使われる場合が少なく、過去形が使われた場合は、その
あとの状態との比較ということと、そのころを回想する感じがあります。

     まだほんの子供だった私はそのことに気づかなかった。
     その時組合の書記長だった人が、今では社長だ。
     鮮やかな赤だった正面の門も、風雨にさらされてすっかり色がはげ
     落ちている。
          当時、世界最大の都市だった長安はまさに国際的な町だった。
         総理の秘書だった田辺氏は次のように回想している。

56.5.4 外の関係の連体節
 外の関係の場合は、それぞれの名詞が受ける節の内容によって、連体節の述
語が過去形をとれるかどうか決まります。

 まず、次のような名詞では、意味の制約から過去形に限られます。

   思い出・記憶・歴史・過去
     子どものころ、近所の小川で遊んだ思い出を子供達に話した。
          どこか、暗い部屋で一人で泣いていた記憶がある。
          (「忘れてしまいたい記憶」のような例は内の関係です)
     彼は、自分が浮浪児だったという過去を消してしまいたかった。

 相対的な関係の名詞で、あとに結果が残るものも過去形をとります。

     指紋をぬぐった跡があるのがかえって怪しい。
     ナイフで切った傷が手のひらにあった。

 逆に、将来のことを意味する次のような名詞は現在形になります。

   計画・約束・予定・意図
     駅前に大きなホテルを建てる計画がある。
     10年後に結婚する約束をした。
     そこから金沢に回るという予定を立てていた。
          情報科学を学ぶ目的で日本に留学した。
     (「日本に留学した目的」は別の用法です)

 時間に関わらない、次のような名詞も現在形をとります。

   習慣・癖・性格・性質・規則・決まり・方法・条件・仕事
     歯を磨く習慣をつける
     頭をかく癖が治らない。  
     熱中すると止まらない性格が周囲の人と合わなかった。
     相手チームにフリーキックを与えるという規則がある。
          研究に専念するという条件で契約を結んだ。
     ワープロを打つ仕事で目を悪くした。

 ただし、「性格」の例は、変化して現在は違ってきたという設定なら、過去
形にもなります。少し前に見た「56.5.2 形容詞の場合」と同じです。

     熱中すると止まらなかった性格が、ずいぶん穏やかになった。

 言語・思考関係の名詞は、どちらでもとり得ます。

     5日に来る/来た という手紙
     この方法でいい/よかった という信念は揺るがなかった。

 ただし、「決心・希望」などは、意味的に現在形しかとれません。

     絶対にやり通すという決心を貫いた。
     留学したいという希望を述べた。

56.6 「という」と「ような」
  複文で使われる「という」は、さまざまなものがあります。名詞節で使われ
る場合は「57.名詞節」でまた論じることにして、ここでは連体節で使われる
場合だけに話を限ります。

 「という」が名詞と名詞をつなぐ形は「5.8 NというN」で見ました。ここ
では連体節と名詞をつなぐ用法を見ます。

  名詞の場合の復習から。「AというB」という形の用法は基本的に二つ考え
られます。一つは、AがBの名前を導入するという働きをもつ場合です。

     田中さんという人が来ました。

という文の伝えたい内容は、「人が来た」こと、そして「その人の名前が田中
であること」です。
 それに対して、

     アブサンというお酒を知っていますか。

という文では、「アブサンは酒(の名前)だ」「アブサンを知っているか」とい
うことでしょう。ここでは、Aはどんな種類の名詞かをBが説明しています。

 もっと単純化して言えば、AがBに情報を付け加えているか、反対にBがA
に情報を付け加えているか、の二つの場合があるということです。

 では、連体節と名詞の場合はどうなっているのでしょうか。「という」の用
法が問題になるのは「外の関係」の連体節です。

 「外の関係」の連体節では、名詞の内容を表す連体節を名詞につなぐもので
す。まず、言語表現・思考に関する名詞は「という」が必要です。言語で表現
された内容や思考の内容が連体節となります。

     姉に子供が生まれたという手紙
     8時に集まれという命令
     デモに参加しようという誘い
          会は何時からかという問い合わせ
     うまく行くだろうという期待

 これらの「という」は省略できません。逆に言うと、「という」を使うこと
によって、「集まれ」「しよう」「行くだろう」というようなムードの表現を
節の中に取り込むことができます。
 「という」を使えない名詞の場合は、これらのムードの表現や「~だ」の形
を節としてとることはできません。

 事柄を表す名詞では「という」はなくてもいいことが多いのですが、では、
ある場合とどう違うのか、ということが問題になります。

     日本語を教えるという仕事はどんな仕事ですか。
     日本語を教える仕事を捜しています。

 連体修飾の機能は、限定と属性の説明の二つだということを前に述べました。
かんたんに言えば「どのN」か「どんなN」かという違いです。

 その観点から考えると、「という」がある場合は「どのN」つまり限定には
なりにくいようです。「AというB」はBの名詞にAという名前を情報として
付け加えることですから、限定と言うより属性説明です。
 「日本語を教える」は「という」を介して「仕事」の内容を説明しています。
ですから、「どんな仕事ですか」という質問に合っています。

 「という」のない方も、連体節が名詞の内容を表しているという点では同じ
ですが、限定という働きも持っています。つまり、「どのN」の答えになり得
ます。
 上の例で言えば、「仕事」の内容を「日本語を教える」、つまり「どんなN」
かを説明しながら、「どのN」という限定の役割も果たしている、ということ
です。ちょっと苦しい説明でしょうか。

  他の名詞の場合にも常にそういう機能的な差があるかというと、それぞれ
微妙です。

     この叔父に格別世話になったという記憶はなかった。
          子どもの頃この叔父の世話になった記憶がある。
          ペットから感染するという病気を知っていますか。
     ペットから感染する病気にかかってしまいました。
     子どもを育てるという楽しみは何物にも代え難い。
     子どもを育てる楽しみなんてない。苦しみだけだ。

 それぞれ「という」があってもなくても言えそうです。その微妙な差はこれ
からの研究課題です。

 つけてはいけない場合は、相対的な名詞です。

     私たちが立っている後ろ(×私たちが立っているという後ろ)
     子供がドアをたたく音(×子供がドアをたたくという音)
       ナイフでけがをした傷跡
     1万円札で払ったお釣り

 前に見たように、同じ名詞でも連体節との意味関係によって「という」が入
る場合と、入らない場合があります。(「言い訳・理由・証拠」など)

 文型による違いもあります。
     タバコを吸ってはいけないという規則がある。
    ×タバコを吸ってはいけない規則がある。
     ここでは、タバコを吸ってはいけない規則になっています。

 「規則」という名詞は、連体節が名詞述語を修飾する形で、ある特徴を持っ
た文型になり、上の例で見るように「という」を使わなくてもよくなります。
これに似た名詞を「56.9 名詞述語となる連体節」でいくつか見ます。 

 以上は「外の関係」ですが、「内の関係」でも「という」を使う場合がある
のでやっかいです。

     これが彼女からもらったという手紙かい?

この「という」は「と言われている」とか「という話の」などの「伝聞」の意
味合いがあります。つまり、「引用」の「と」の意味が生きているのです。

     これが、西郷隆盛が腰掛けたという岩です。
     これが、西郷隆盛が腰掛けたと言われ(てい)る岩です。

  連体節の次にとりあげる名詞節でも「という」はよく使われます。

     言語は恐ろしく複雑だということがよくわかった。
          言語が恐ろしく複雑であることがよくわかった。

 連用節ではまったく触れませんでしたが、時々使われます。

     いざ出発しようという時になって、客が来た。
     結論は、これじゃダメだ、というのでまたやり直した。
         
[って]
 話しことばでは「って」の形にもなります。

     行かないかって手紙をもらったよ。
     もうだめ、って感じだね。
     あいつが買ったって車、あれ?(内の関係:伝聞の意味合い)
     あいつが買った車、あれ?

[なんて]
 「なんて」は「などという」という意味に当たります。

     ここでタバコを吸っちゃいけないなんて規則、誰が決めたの?
     これが最後だなんて嘘は聞き飽きたよ。

[との/かの]
 「との」を「という」の代わりに使える場合が多いです。

     君が行ってくれとの手紙を受け取った。
     出発せよとの命令を受けた。
     いつ終わるのかとの質問に答えた。

 けれども、使えない場合もあります。この制限はよくわかりません。

    ?絶対に行こうとの意見を述べた。
    ?本当にできるのか(どうか)との疑問がある。

 また、連体節が疑問の形である場合は、「の」だけでもつなげられることが
あります。つまり「~か(どうか)の」という形になります。

     開始時刻を何時にするかの決定は、当委員会で行います。
     これを認めるかどうかの判断は、明日の会議に持ち越された。

 これも、できない場合があります。

    ?いつ終わるかの質問に答えた。(~かという質問)
    ?問題がまだ残っていないかどうかの不安が心をよぎった。

 できる場合は、課題に対する解決を表す名詞の場合でしょうか。課題そのも
のが内容となるような名詞はだめなようですが、これもよくわかりません。

[ような]
 連体節と名詞をつなぐことばで、「という」とはまた違った性質を持つもの
で、様子を表す「~ようだ」「~ように」の連体修飾の形です。「内の関係」、
「外の関係」どちらにもよく使われます。

          その子は、驚いたような顔をしてこっちを見た。
     彼は、蚊の鳴くような声で、「はい」と言った。
     彼女のテニスの腕は、目を見張るような進歩を遂げた。

 そういう様子で、というのが基本的な意味でしょう。「蚊の鳴くような声」
は比喩的表現です。「目を見張る」のは主節の主体ではなく、他の人、例えば
話し手です。

  次の例は「様子」というのとは少し違います。

     彼は嘘をつくような人ではありません。
          叩いたぐらいで壊れる機械じゃないよ。
     そんじょそこらで売っているような品物ではございません。

  そういう種類のもの、ということで、あとに否定が来ることが多いようです。

 連体節の動詞が言語・思考関係の例があります。「~ように」と対応します。

     予想したような結果になった。
     この本に書いてあるような事件がたくさん起こりました。
     先ほどあなたが言われたような事実はありません。

 「ような」が省ける場合が多いのですが、次のような固定した表現では省略
できません。

     見てきたような嘘をつく (×見てきた嘘)
     降るような星空 (×降る星空)
     バケツをひっくり返したような土砂降り

  「という」とつながって「というような」という形もよくあります。

          やりたい人はやってもいい、というような話だった。
     さあさ、ごらんよ、どこにでもあるというような品物じゃないよ。
          ま、これ以上やってもムダだ、というような結論ですかね。


56.7 連体の重なり
  まず、連体節と他の連体修飾語の重なりから考えてみましょう。

     あの、京都で買った人形
     京都で買ったあの人形

 この違いは微妙です。

     あの、京都の店で買った人形

となると、「あの店」である可能性があります。ただし、そう解釈するために
は、「あの」が文脈指示になり(発話の場に「京都の店」はありません)、聞
き手も知っているとか、いろいろ複雑になります。(→「15.指示語」)」

 「あの人形」は現場指示、文脈指示の両方がありえます。
  「大きな」「美しい」や「私の(娘の)」などを加えるとさらに複雑になり
ますが、その話は省略しましょう。

 ただ、一般的に言えることは、長い修飾語は前に持ってきた方がいいという
ことです。

     京都の店で買ってきた、美しい、大きな、私の娘の人形

 「あの」はどこに入れましょうか。指示語は、短いものですが、いちばん前
に付けることもよくあります。「指示」ということだけに特化した、他の修飾
語とはちょっと違った独特の特徴があるためでしょう。

 一つの名詞に複数の連体節がかかる場合を考えてみましょう。すぐ上の文が
その例になります。

     「指示」ということだけに特化した、
     他の修飾語とはちょっと違った
     独特の              特徴

「特徴」に三つの連体修飾が付けられています。次はもっと単純な例です。

     駅前で見かけた、赤いシャツを着た男(が今、家の前にいる)
          あの時見た、忘れようとしても忘れられない、あの光景

 修飾部分が連用の関係になることもよくあります。

     人間の恐ろしさを知らない、楽園の中でのんびりと生きてきた鳥

 「知らない(鳥)」を「知らず」あるいは「知らないままに」などの形に変え
ると、それらは「生きてきた」にかかる連用修飾節となりますが、全体として
は同じような意味になります。

  内の関係の連体節と外の関係の連体節が一つの名詞にかかる例。 

          これまで言われてきた、核持ち込みはなかったという弁明 [内+外]
     太陽電池を使うという、それまでにはなかった新しい方法 [外+内]

 間に接続詞が入ることもあります。

          科学の発達した、しかし、人類滅亡の恐れもある現代

 外の関係の連体節で選択型の接続詞を使った例

          人数を減らすか、それとも日程を短くするかという迷い
     産業の発展を重視するか、それとも人命を最優先するかという選択

  次の例では後の連体節が二重になっています。

     夢を持った、そしてそれを実現するエネルギーを持った若者たち
         [夢を持った][[そしてそれを実現する]エネルギーを持った]若者

 内の関係の連体節が何重にもなった例を考えます。

         [[[汽車を待つ]君の横で時計を気にしている]僕に降りかかる]雪
          待ちに待った春が来て喜んでいる人々を撮った写真
     魚を食べた猫を追いかけた犬を捕まえた人を見た。

  あまりいい作例ではありませんが、文法的にはこういうものはいくらでも可
能です。次は「外の関係」の「という」を含んだ例。

     社会を改革しようという考えを持った人にインタビューした記録

 以上のように、いくつかの連体節が並列的に、あるいは重層的に一つの名詞
にかかる例は、ごくありふれたものです。日常の話しことばは短い文が多いの
でこのような例は少ないかもしれませんが、講演や大学の講義などではよくあ
る形です。日本語ができるということは、これらを聞いて瞬時に理解でき、ま
た自分で次々と作り出せるということです。

56.8 連体修飾の機能
 「5.2 NのN」と「10.修飾」でも述べたように、連体修飾の働きは「限定」
と「属性の説明」の二つが考えられます。連体節の場合も基本的には同じです。

  まず、内の関係の連体節。

     そこにある本は私が書いた本です。

 「そこにある本」は他の本と区別するための限定で、「私が書いた本」は本
の説明です。疑問語で置き換えてみると、

     そこにある本はどんな本ですか。
     どの本があなたの書いた本ですか。

のように、「どんなN(属性説明)」「どのN(限定)」という違った機能の疑問
語になります。

 外の関係の連体節では、もう少し広がりがあります。
 まず、連体節が名詞の「内容」になるものがあります。これは「説明」の一
種と言えるでしょう。疑問語を使えば、「どんな」でしょう。

     結婚したという手紙をもらった。    
     韓国語の通訳になるという目標に向かって勉強する。
     戦争を繰り返してきた歴史を皆で確認しよう。

 「内容」を表すのではなく、名詞が連体節の内容の実現に関するものである
場合があります。「因果関係」の名詞です。 

     韓国に留学した目的は日本語の起源の研究です。
     科学が発達した結果、宗教は衰退したか。

 疑問語で言えば、「何の目的/結果」です。「どんな目的/結果」かと言え
ば、「日本語の起源の研究/宗教が衰退した」となります。

  「相対名詞」では連体節が相対的な名詞の基準を表しています。

     私たちが住んでいる上をジェット機が飛んでいく。
          試合を始める前に、開会式を行った。

 「何の上」あるいは「どこの上」でしょうか。そして「何の前に」。名詞の
独立性は低く、名詞を節が修飾していると言うより、節と名詞が一緒になって
ある一つの場所や時間を示していると言えます。

 これらの例を通じて、連体節は何を表していると言えるでしょうか。一言で
まとめるのは無理なことでしょうが、とにかく、その名詞の意味内容をよりく
わしくしているということは確かなようです。

 もう少し違った観点から見た、連用節との意味的な関連については「59.複
文のまとめ」を見て下さい。

[必須の連体節]
  文法構造上、連体修飾が省略できない例は、「10.3 修飾語の役割」でも出
しておきました。

     長い髪の少女          ?髪の少女
     大きな声で叫ぶ       ?声で叫ぶ
     赤い色に塗る          ?色に塗る

 「少女の長い髪」では「少女の髪」のように「長い」は省略できます。(も
ちろん意味は変わりますが、文法的な構造です)「AのB」の形で、AがBの
部分・所有物・側面のような語である場合、修飾語が必要なようです。

     青い服の女性   素直な性格の男   澄んだスープのラーメン
     厚い表紙の本   有名な親の息子   貧乏な家庭の子供

 「厚い本の表紙」なら「本の表紙」と言うことができます。「親」や「家庭」
の例では、子供の方が所属しているわけですが、修飾語は省けません。ただし、
材質の場合は修飾語が省略できるようです。

     白いコンクリートの建物   堅い木の机

これは、それぞれ「白い建物」「堅い机」でもあるからでしょうか。

 「大きな声で」のような「様子」を表す場合は、必ず主体の「声」であるし、
「赤い色に」の例では「壁を塗る」のような対象の「色」であるわけで、それ
ぞれその名詞が所属する「本体」を表す名詞があります。その本体が元々持っ
ているものだけでは連体修飾や連用修飾の機能を持てないのです。その部分・
側面が「どうであるか」を情報として付け加えるような修飾部分が必要で、そ
のような場合に、修飾語が省けないということのようです。

 さて、連体節の場合はどうでしょうか。上の三つの例の修飾部分が連体節に
なった場合はもちろん省略できません。

     教室にいる学生を呼んできて下さい。(学生を呼んできて下さい)
     ウサギを描いた表紙の本を探して下さい。(×表紙の本を~)
     その人は、しゃがれた、よく聞こえない声で話し始めた。 
         (×その人は、声で話し始めた)
          壁を遠くからよく見える色に塗った。(×壁を色に塗った)

 最初の例は、ごくふつうの連体修飾の例です。連体節がなくても意味を成し
ますが、連体節で「学生」の範囲を限定しているわけです。

  次のような場合も修飾部分を省略できません。

          その本は、十年前に外国で買った本でした。(?その本は本でした)
     あの人は、とても面白い人です。(?あの人は人です)

  この場合、「本だ」「人だ」は構造上は述語の位置にありますが、実質的な
述語は連体節の中の述語「買った」「面白い」です。

 以上は内の関係の連体節です。外の関係でも省略できない例があります。

          彼はもっと詳しい調査をすべきだという意見を述べた。
          離婚が増えているという統計が新聞に出ていた。
          (?統計が新聞に出ていた)
          我々は、利益の1割を受け取るという条件で出資した。
          (×我々は条件で出資した。)
          今回は選挙人をそれぞれ5名出すという方法をとった。
          彼らはリコールを要求するという手段に出た。

 初めの例は、「彼は意見を述べた」のように省略しても文法的です。「統計」
の例では何か「~の」というような修飾語句が必要な感じがします。「条件」
以下の例はまったく非文法的になります。

  名詞文の述語の位置に連体節が来た場合は独特の問題がありますので、次に
分けてとりあげます。

56.9 名詞述語となる連体節
  連体節が名詞述語の位置に来るものの中で、特徴のあるものがあります。

   1 彼は、田中商事に勤めるサラリーマンです。
   2 あの人は、以前私の恋人だった人です。
      3  彼は、丸い顔です。

 まず、例1は問題のないものです。連体節をとっても意味が通じます。

     彼は、サラリーマンです。

  例2は意味のない文になってしまいます。

    ?あの人は人です。

ここで、実質的な述語は連体節の中の述語です。

     あの人は、以前私の恋人でした。

 ではなぜ、例2のように連体節にして「人です」という名詞述語にするのか、
ですが、レトリックの問題と言うしかないでしょうか。

 例3も意味をなしません。

    ×彼は顔です。

 連体節の述語も「彼」の形容ではなくて、「顔」の形容です。

    ×彼は丸いです。
     彼の顔は丸いです。

 この形は「は・が文」にすることができます。

     彼は顔が丸いです。

 ここでも、ではなぜ例3のような文型にするのか、その意味合いは何か、が
問題になります。

  以下は外の関係の連体節です。

   4 彼は、嫌いなことは絶対にしない性格です。
   5 彼は、若い女の子にもてるタイプです。

 これらも連体節がないと意味をなしませんが、逆に文末の名詞述語をとって
も意味を成します。

   6 彼は、嫌いなことは絶対にしません。
   7 彼は、若い女の子にもてます。

 しかし、こうすると、はっきり事実として言い切っていることになります。
それに対して例4・5では、それは「彼」の「性格」であり、「タイプ」だと
して、「彼」の属性を説明しています。

  もう少し類例をあげておきます。どれもみな外の関係の連体節です。

     この文は、従属節が二つある構造です。
     この鍵は、どうやっても本人以外には開けられない仕組みだ。
     相手は、何があっても後へは引かない姿勢だ。
     こちらの出方次第では、うまくいきそうな雰囲気/感触だ。
          時間内には問題点が解決できない情勢/模様/見通しだ。
     彼は辞めるわけには行かない立場/運命だ。
          この祭りは、女は中に入れない習わしだ。
          彼は、うれしくて仕方がないという感じでした。
     私は、あまりやりたくないという気持ちでした。
     私は、来年留学する予定です。



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